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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。

台与は豊鋤入姫命であり、景行天皇の妹であった [邪馬台国・卑弥呼 その1]

 台与は豊鋤入姫命であり、景行天皇の妹であった。


1 魏志倭人伝によると「卑弥呼の後継者として立てた男王を不服として国が内乱状態となり、千余人が誅殺し合った。改めて卑彌呼の宗女である壹與を13歳の女王として立てた結果、倭国は遂に安定した」とある。
 日本書紀・垂仁天皇には「天照大神は崇神天皇皇女の豊鋤入姫命から離され、垂仁天皇皇女の倭姫命に託された。その後、倭姫命は大神を奉斎しながら諸地方を遍歴し、伊勢に行き着く」とある。〈原古事記にあった詳細は倭姫命世紀に書き出されている〉
 豊鋤入姫命は天照大神を奉斎していたので魏志倭人伝の台与(トヨ)である。
 原古事記には「孝霊天皇の皇女、日女命またの名、倭迹迹日百襲媛命」とあり、「垂仁天皇の皇女、豊鋤入姫命」とあったはずである。藤原氏は日女命を稚日女命とし倭迹迹日百襲媛命を倭姫命とし、垂仁天皇の皇女の豊鋤入姫命を倭姫命と入れ替えた。その動機は、伊勢神宮を創設した由緒を創らなければならなかったからである。伊勢神宮を創設した姫は、倭国(鳥取県中部)周辺の6か所しか巡行していない豊鋤入姫命では役不足であり、全国を巡行した倭姫命でなければならなかった。本来、倭建命は孝元天皇の弟であり、同じく孝元天皇の妹であった倭姫命を欠史8代ではない景行天皇の妹に持ってこなければならなかった。豊鋤入姫命をそのまま垂仁天皇の皇女にすると改ざんしたことが分かるので崇神天皇の皇女とした。
 以前景行天皇の在位期間を260年~290年としていたが、景行天皇の在位を248年~280年頃に訂正します。妹の倭姫命(豊鋤入姫命=トヨ)は13歳で卑弥呼の宗女となった。魏志倭人伝の卑弥呼が亡くなった後の信頼されない「男王」とは景行天皇であった。皇居は鳥取県中部にあったが多くは奈良の纒向日代宮におり、全国の代表者を集めて妹の豊鋤入姫命(台与)が祭祀をしていた。中国にとって男王は影が薄かったようだが、中国のいう女王と倭国の男王(天皇)は並立していた。


2 勘注系図に見る卑弥呼と台与の候補
(1)6世孫 
大倭姫、宇那比姫命、亦名、天造日女命、一伝、竹野姫命、亦伝、大海靈姫命、亦伝、日女命云々
(2)9世孫 乙彦命(彦國玖琉命) 
妹 日女命、亦名、中津姫命、亦名、倭迹迹日百襲媛命、亦名、神大市姫命、一云、千千速日女命、一云、日神
(3)10世孫 
妹 大倭姫、一云、天豊姫命、一云、豊鋤入姫命、一云、豊受姫荒魂命、一云、大御気津姫命、一云、大宜都日女命、一云、天照姫命、亦云、五百野姫命、一云、葛木高額日女命、一云、息長水依日女命
(4)11世孫 小登與命(御間木入彦命)
妹 日女命 亦名、稚日女命、亦名、日神荒魂命、亦名、豊秋津姫命、亦名、御気津姫命、亦云、宮簀姫命、一云、玉依姫命、一云、小豊姫命、一云、豊受姫命、一云、活玉依姫命、一云、倭国香姫命、一云、倭姫命、一云、向津姫命、一云、大海姫命、一云、倉稲魂命


3 私見
(1)海部氏勘注系図には11世孫の妹として日女命またの名「小豊姫命」とある。この「小豊姫命」を魏志倭人伝の台与(トヨ)とする説がある。さらに、11世孫の妹の日女命は、亦名として、稚日女命、倭姫命とも記されている。私は稚日女命、倭姫命を卑弥呼とするが、勘注系図では小豊姫命(台与?)のまたの名として稚日女命、倭姫命が書かれている。しかし、さらに、またの名として玉依姫命、日神荒魂命、豊受姫命、活玉依姫、倭国香姫、倉稲魂命が記載されている。玉依姫命は神武天皇の母親である。日神荒魂命は天照大神の別名である。豊受姫命は瓊々杵命と一緒に降臨した姫である。活玉依姫は大物主と結婚した姫である。倭国香姫は倭迹迹日百襲媛命の母親である。倉稲魂命は私見では豊受姫に比定している。
 これがみな同一人物ですか。「そんな馬鹿な」ですよ。これは見る者を混乱させるために記載したものと思われる。籠神社の宮司は、「主祭神は717年までは火火出見命であったがわけあって彦火明命に変えている」という。717年は日本書紀の編纂中である。「わけあって」とは藤原氏による生きるか死ぬかの威圧であったものと思われる。今の海部氏勘注系図が書かれたのは日本書紀の編纂中であった。日本書紀に合うように書かれている。正しい系図が藤原氏の手に渡ったら書き直せと言われるに決まっている。従わなければ殺される。だから見る者を混乱させて書き直せと言われない書き方をした。日本書紀に合っているから藤原氏の検閲をパスした。日本書紀は「天照大神は崇神天皇皇女の豊鋤入姫命から離され、垂仁天皇皇女の倭姫命に託された」とする。勘注系図では10世孫の妹に「豊鋤入姫命」の名が見え、11世孫の妹に「倭姫命」の名が見える。代はずれているが「豊鋤入姫命」が先で「倭姫命」が後という順序は日本書紀に合っている。しかし本当の順序は「倭姫命」が先で、「豊鋤入姫命」が後であった。史実は、「倭姫命」が9世孫(孝元天皇)の妹であり、「豊鋤入姫命」は13世孫(景行天皇)の妹であった。本来13世孫の妹を10世孫の妹に持ってきて、本来9世孫の妹を11世孫の妹に持ってきた。これで順番は逆になる。
(2)孝霊天皇は鳥取県西部に残る楽々福神社の由緒、日野郡誌、溝口の鬼伝説などにより実在した天皇であり、鬼(準王一族=出雲神族)と戦った。孝霊天皇は倭国大乱(146年~189年)の時代の天皇である。卑弥呼も鬼道を使い倭国大乱の時期を生きた。孝霊天皇と卑弥呼は共に倭国大乱の時期を生きており、卑弥呼は孝霊天皇の一族と考えるべきである。
 鳥取県神社誌(昭和9年当時2市7郡)のうち孝霊天皇(9神社)と稚日女(8神社)の祀られている神社は、出雲国に接する西伯郡と日野郡である。稚日女命も孝霊天皇も出雲神族(準王一族)の鬼と戦うために西伯郡と日野郡にいたものと思われる。稚日女命は孝霊天皇と一緒に戦っていたのであり、倭国大乱の同時代に生きていたと思われる。稚日女命は倭国大乱が終わってから宗女になる台与ではない。孝霊天皇の一族と解するほうが自然である。東は岩手県から西は長崎県まで全国の多くの神社に祀られている稚日女命は台与ではなく卑弥呼と思われる。
(3)全国を巡行して社を建てさせ、準王一族(出雲神族)の祭祀を道教の神道に強制的に変えさせる巡行は倭姫命がしている。「倭姫命世紀」は倭姫命(卑弥呼)が全国を巡行した原古事記の一部を抜き取ったものである。全国の準王一族(出雲神族)の平定は倭国大乱の間(146年~189年)に終わっている。あとは纒向に全国の代表を集めて道教(神道)の祭祀をするだけであった。全国の巡行は台与の先代の卑弥呼がなしたことであり、台与は全国の代表者を纒向に集めて道教(神道)の祭祀を行えばよく、反乱のあった地域のわずかな巡行をすればよかった。倭姫命も倭建命と同じ倭国大乱の時期(146年~189年)を生きているから台与ではない。
 稚日女命も倭姫命も台与ではなく卑弥呼であった。
(4)豊鋤入姫命(台与)は崇神天皇の妹ではない。崇神天皇は全国を平定し、御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)と尊敬さているので、魏志倭人伝に言う信頼されない「男王」ではない。しかし、台与は豊鋤入姫命とするのが通説である。卑弥呼は享年96歳くらいで248年に亡くなっているし、崇神天皇は享年100歳くらいで258年に亡くなっているから、豊鋤入姫命は崇神天皇の13歳の妹ではない。垂仁天皇の在位も崇神天皇から生前譲位を受けて在位220年~248年くらいであろう。「男王」は景行天皇と思われる。台与(豊鋤入姫命)は景行天皇の妹と思われる。しかし、日本書紀では景行天皇の妹に倭姫命がいる。
 豊鋤入姫命と倭姫命とは別人である。伊勢神宮でも2人を別人として扱っている。2人は会ったこともないので天照大神を直接託すこともなかった。日本書紀では時代を、あとさき入れ替えて書いている。
 日本書紀は景行天皇の妹を倭姫命とするが、原古事記では景行天皇の妹は豊鋤入姫命であった。「倭姫命世紀」を独立した書物にした関係で日本書紀では景行天皇の妹を豊鋤入姫命と入れ替え、倭姫命とした。倭建命も景行天皇の皇子に持ってきた。本来、倭建命も倭姫命も孝霊天皇の皇子と皇女である。


4 参考  倭姫命(19ヶ所)と豊鋤入姫命(6ヶ所)の巡行
 通説は「天照大神は豊鋤入姫命を御杖代として各地を巡幸していたが、豊鋤入姫命が老年になるに及んで御杖代を皇女倭姫命に交代した。倭国、彌和乃御室嶺上宮までは豊鋤入姫命が、以後は倭姫命が天照大神の御杖代となって諸国を巡幸した」とする。
 しかし、史実は「2世紀、倭姫命(卑弥呼)が全国を巡行し、3世紀、卑弥呼が亡くなってから豊鋤入姫命(台与)が少しの巡行をした」であった。
(1)倭姫命(卑弥呼)倭迹迹日百襲媛命(孝霊天皇の皇女)(神社の祭神としては稚日女命)
 1、大和国 字多秋志野宮 2、大和国 佐々波多宮 3、伊賀国 隠市守宮 4、伊賀国 穴穂宮 5、伊賀国 敢都美恵宮 6、淡海国 甲可日雲宮 7、淡海国 坂田宮 8、美濃国 伊久良河宮 9、尾張国 中嶋宮 10、伊勢国 桑名野代宮 11、伊勢国 奈具波志忍山宮 12、伊勢国 阿佐加藤方片樋宮 13、伊勢国 飯野高宮 14、伊勢国 佐々牟江宮 15、伊勢国 伊蘇宮 16、伊勢国 大河之瀧原宮 17、伊勢国 矢田宮 18、伊勢国 家田田上宮 19、伊勢国 五十鈴宮(現今の大神宮)
(2)豊鍬入姫命(台与)垂仁天皇の皇女、景行天皇の妹
 20、倭国 笠縫邑 21、但波乃 吉佐宮 22、倭国 伊豆加志本宮 23、木乃国 奈久佐濱宮 24、吉備国 名方濱宮 25、倭国 彌和(ミワ)乃御室(ミムロ)嶺上(カミ)官
(3)私見
 鳥取県中部が倭国であったから、但波(但馬)と木乃国(鳥取県智頭町)と吉備(岡山県と広島県)は鳥取県中部(倭国)をとりまく周辺地域である。千余人が誅殺し合ったのもこの地域と思われる。倉吉市高城には楯縫神社がある。


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