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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。

神武天皇(紀元前112年生、紀元前60年即位)のいた四王寺山の近くから紀元前100年頃の遺跡が発掘された [日向三代と神武天皇四兄弟]

 神武天皇(紀元前112年生、紀元前60年即位)のいた四王寺山の近くから紀元前100年頃の遺跡が発掘された。

1 鳥取県倉吉市大谷の中尾遺跡より弥生時代中期(約2100年前)の竪穴建物跡12棟、掘立柱建物跡5棟が見つかった。

 倉吉市ホームページより
教育委員会事務局 文化財課 ―弥生時代中期の集落跡発見!― 中尾遺跡発掘調査 
 「倉吉市教育委員会では、平成27年(2015年)8月より中尾遺跡(倉吉市大谷)の発掘調査を行っており、弥生時代中期(約2100年前)の竪穴建物跡12棟、掘立柱建物跡5棟、古墳時代後期の円墳1基などを確認しました」とある。

2 遺跡の位置
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 中尾遺跡は神武天皇4兄弟の世話と守りをしていた大谷集落を隠すように取り巻く丘陵地の上にあり神武天皇4兄弟と同時期に建てられたものであると解する。

3 私見では「神武天皇の即位年は紀元前60年であり、神武天皇の生年は紀元前112年である」とする。

 神武天皇の4兄弟は鳥取県倉吉市の四王寺山(四皇子山 )におられたのであり、4兄弟の世話と守りをしていた大谷集落の近くの中尾遺跡で紀元前100年頃の12棟の建物跡が発掘された。発掘予定はないが、大谷集落の下には多くの紀元前100年頃の建物跡があるはずである。

※2016年6月22日追記

 倉吉市教育委員会事務局 文化財課の上記記事は6月12日の時点では確かに存在し、コピーさせていただいた。しかし6月22日の時点では削除されている。私の仮説が証明されたら大変なことになる。政府は神武天皇の即位は紀元前660年であるとし、建国記念日を設けている。これが600年水増しされており紀元前60年が神武天皇の即位年ということになれば、日本書紀も政府・自民党も国民を騙してきたことになる。倉吉市には問い合わせや相当な圧力があったものと思われる。

 私と倉吉市とは交流はない。また私のブログを見ていてそれに合わせて倉吉市は中尾遺跡の年代を創作したとも思われない。発掘された遺物から年代を算定したものと思われる。どうか倉吉市に間違った圧力をかけないで欲しい。


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