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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。

猿田彦は鳥取県中部に土着の縄文人であり、徐福集団(天孫族)に協力していた [天孫降臨]

 猿田彦は鳥取県中部に土着の縄文人であり、徐福集団(天孫族)に協力していた。

1 蜘ヶ家山と土下山周辺の猿田彦を祀る神社(6社)。合併(大正時代)前の神社も含む。

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 金刀比羅神社(由良町由良宿)、松神神社(下北条村松神)、田村神社(下北条村島)、三輪神社(下北条村土下)、船内神社(上北条村下古川)、山根神社(西郷村山根)

 猿田彦一族の本拠地は田村神社(下北条村島)のあたりである。松神神社は横の三輪山に大物主(天忍穂耳)がおられ猿田彦は大物主(天忍穂耳)の指示に従っていた。ニニギ命を鏡ヶ成に迎えに行かせたのも父の大物主(天忍穂耳)である。

 天太玉と稚産霊が降臨した中尾第一遺跡やイザナギ・イザナミが降臨した松ヶ坪遺跡や玉祖命が降臨した長瀬高浜遺跡において縄文晩期と弥生前期の遺物が同時に見つかっている。これらは、天孫族に協力していた縄文人がいたということである。この縄文人たちは猿田彦一族であった。後(紀元前165年頃)に長瀬高浜遺跡の巨大4本柱(直径2.5m前後)の高床式建物(SB40)を建てた。

2 縄文海進ピーク時の鳥取県中部の海岸線

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 倉吉住吉神社の前の案内板には「このあたり一帯が入り江であった時」と書いてあるのでその状態になるのは海抜20mに海面があった時(縄文時代)であり、鳥取県中部の海岸線はこのようになる。蜘ヶ家山と土下山周辺からは旧石器時代・縄文前期・中期・後期・晩期の遺跡や遺物が発掘されている。鳥取県中部には旧石器時代から連続して人が住んでいた。

3 北条町(現北栄町)の遺跡(島遺跡発掘調査報告書「位置・環境」より)

 北条町は鳥取県の中央部を流れる天神川を境にして、東は羽合町、西は大栄町、南は倉吉市と接しており、北部は日本海に面している。
 砂丘地では、砂丘遺跡で有名な羽合町の長瀬高浜遺跡が近接するが、本町の江北浜で土師器、須恵器、土馬、銅鏡、鎧片などが出土し、下神及び弓原浜からは、弥生土器、土師器片が出土している。
 丘陵地においては、茶臼山古墳群、土下古墳群、北尾古墳群、島古墳群、曲古墳群など約600基が存在する県下有数の古墳密集地であり、その中でも土下古墳群に含まれる土下210号墳及び、土下213号墳からは全国的にも貴重な鹿埴輪、鹿の子模様の入った人物埴輪が出土している。
 平野部においては、今回調査を行った島遺跡が代表的な遺跡として挙げられる。島遺跡は、昭和27年に発見された遺跡である。当時、縄文遺跡の存在は鳥取県では目久美遺跡(米子市)、北灘遺跡.(境港市)、青島遺跡(鳥取市)など数えるほどしかなく、島遺跡は縄文時代前期から晩期にまたがる土器や、石器、動物骨格片等の豊富な遺物の出土と相伴って山陰を代表する遺跡として脚光を浴びた。
 昭和58年の発掘調査によって多量の縄文土器のほか、石器や丸木舟、縄文貝塚等が発見され、特に縄文土器においては前期から晩期につながる山陰地方の土器編年がなされ、この地域の縄文遺跡としての重要性が注目されている。また、島遺跡の上流部には、縄文時代中期の土器片、ひきりうす、木製品が検出された米里船渡遺跡が存在している。
 北条町の遺跡分布状況は圧倒的に丘陵部における古墳が多いが、まだ埋もれた遺跡がたくさん存在することは、平野部に位置する島遺跡の立地状況からみても容易に推測できるところである。

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4 島遺跡は遺物がほとんどであり遺構は見つかっていない。島遺跡の場所は海抜5mくらいであり、縄文時代は海の底であった。流土で流されたか準王一族がここを襲ったときに捨てたものと思われる。縄文人の遺構はまだ発掘されていないが、周辺の丘陵地にあるはずである。鳥取県中部の蜘ヶ家山と土下山に縄文人が住んでいた。縄文前期・中期・後期・晩期の遺物が島集落や米里集落から発掘されている。

 この蜘ヶ家山と土下山に住んでいた縄文人は猿田彦一族であった。徐福一行がこの地に到着してからイザナギに頼まれて徐福一行に協力していた。猿田彦は土着の縄文人であったから、徐福集団の道案内もし、定住できるように協力していた。「天津御子の天之御巣の壮大な構えの屋根の高い立派な宮殿を築いた」(古事記)のも猿田彦一族であった。


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天孫降臨に関係する鳥取県中部の神社の祭神 [天孫降臨]

  第十四節 天孫降臨に関係する鳥取県中部の神社の祭神

 神社名と住所は鳥取県神社誌(昭和9年刊)に基づいています。合併(大正時代)前の神社も挙げています。

1 第1次(紀元前195年頃)の降臨
(1)天照大御神 神田神社(南谷村泰久寺)新宮山神社(西郷村下余戸)牧神社(旭村牧)国主神社(舎人村北福)上古川神社(上小鴨村上古川)上市神社(高城村河来見)灘手神社(灘手村穴沢)方見神社(市勢村上伊勢)野田神社(上郷村野田)日御碕神社(下中山村御崎)
(2)月読命(保食神) 賀茂神社(旭村森)波波伎神社(日下村福庭)稲荷神社(小鴨村岡田)秋喜神社(小鴨村秋喜)服部神社(高城村服部)上米積神社(高城村上米積)中山神社(上中山村東積) ※ 方見神社の祭神に稲荷神とある。桜神社(高城村桜)風宮神社(高城村岡)
(3)天忍穂耳(大物主) 三輪神社跡(下北条村下神)大原神社(倉吉町大原)賀茂神社(旭村森)神田神社(南谷村泰久寺)大和山神社(灘手村別所)照国神社(下郷村美好)古布庄神社(古布庄村別宮)下見神社(古布庄村三本杉)神郷神社(上郷村大杉)
(4)天穂日 大原神社(倉吉町大原)恩地神社(旭村恩地)松崎神社(松崎村松崎)田内神社(倉吉町巌城)
(5)伊斯許理度売命(石凝姥命) 倉坂神社(上郷村倉坂)
(6)天手力男 神郷神社(上郷村大杉)
(7)玉祖命 長瀬高浜を終の棲家としそこで玉を造っていた。羽合歴史民俗資料館では2200年前の遺跡であるとする。
(8)天石門別神 神郷神社(上郷村大杉)倉坂神社(上郷村倉坂)
(9)思兼命 松尾神社(花見村野花)
(10)天宇受売命 上里神社(日下村清谷)長瀬神社(長瀬村長瀬)灘郷神社(泊村泊)
(11)猿田彦 山根神社(西郷村山根)幸能鶴神社(竹田村穴鴨)小鹿神社(小鹿村東小鹿)中津神社(小鹿村中津)東郷神社(東郷村小鹿谷)梶屋神社(橋津村下橋津)宮本神社(橋津村上橋津)灘郷神社(泊村泊)松神神社(下北条村松神)田村神社(下北条村島)三輪神社(下北条村土下)船内神社(上北条村下古川)金刀比羅神社(由良町由良宿)神郷神社(上郷村大杉)

2 第2次(紀元前165年頃)の降臨
 瓊瓊杵尊は日向(葦原中津国)のクシフルタケ(北栄町の亀谷丘陵の大宮神社)に天降った。
(1)瓊瓊杵尊 神田神社(南谷村泰久寺)上里神社(日下村清谷)日吉神社(矢送村関金)矢送神社(矢送村山口)楯縫神社(高城村上福田)大宮神社(栄村上種)三輪山(下北条村下神)照国神社(下郷村美好)
(2)木花之佐久夜毘売 笏賀神社(旭村笏賀)松尾神社(花見村野花)国府神社(社村国府)亀谷神社(栄村亀谷)松神神社(下北条村松神)高江神社境内社(由良町由良宿)麻布神社(古布庄村古長)大正神社(古布庄村中津原)
(3)天児屋根命 今泉神社(旭村今泉)上里神社(日下村清谷)長瀬神社(長瀬村長瀬)矢送神社(矢送村山口)垂井神社(社村大谷)三輪神社(下北条村土下)穂波神社(大誠村穂波)下郷神社(下郷村下大江)春日神社(古布庄村宮場)春日神社(下中山村赤坂)
(4)天太玉 長瀬神社(長瀬村長瀬)矢送神社(矢送村山口)中尾神社(伊勢崎村中尾)
(5)稚産霊(和加産巣日神) 中尾神社(伊勢崎村中尾)神郷神社(上郷村大杉)倉坂神社(上郷村倉坂)中山神社(上中山村東積)
(6)豊受姫(倉稲魂命) 大原神社(倉吉町大原)新宮山神社(西郷村下余戸)立原神社(西郷村上余戸)天高神社(西郷村八屋)伊木神社(西郷村伊木)山根神社(西郷村山根)山田神社(三朝村山田)森村崇敬神社(旭村森)鎌田神社(旭村鎌田)今泉神社(旭村今泉)玉阪神社(竹田村曹源寺)西小鹿神社(小鹿村西小鹿)岩伏神社(橋津村橋津)市場神社(小鴨村市場)菅原神社(小鴨村菅原)長坂神社(小鴨村東鴨)中河原神社(小鴨村中河原)谷口神社(上小鴨村耳)広瀬神社(上小鴨村広瀬)湯関神社(矢送村関金)中野神社(北谷村中野)三江神社(北谷村三江)三輪神社(下北条村土下)子守神社(大誠村六尾)高江神社(由良町由良宿)満利山神社(古布庄村杉地)田越神社(八橋町田越)井出上神社(成美村出上)成美神社(成美村太一垣)柴尾神社(以西村山川)湯坂神社(安田村湯坂)下甲神社(下中山村下甲)賀茂神社(下中山村羽田井)中山神社(上中山村東積)高岡神社(上中山村退休寺)
(7)猿田彦 山根神社(西郷村山根)幸能鶴神社(竹田村穴鴨)小鹿神社(小鹿村東小鹿)中津神社(小鹿村中津)東郷神社(東郷村小鹿谷)梶屋神社(橋津村下橋津)宮本神社(橋津村上橋津)灘郷神社(泊村泊)松神神社(下北条村松神)田村神社(下北条村島)三輪神社(下北条村土下)船内神社(上北条村下古川)金刀比羅神社(由良町由良宿)神郷神社(上郷村大杉)
(8)經津主神 倭文神社(北谷村志津)井手畑神社(上北条村井手畑)
(9)建御雷神(武甕槌神) 岩崎神社(由良町妻波)春日神社(古布庄村宮場)

3 国を譲った鴨族
(1)大国主 大宮神社(三朝村大瀬)三朝神社(三朝村三朝)坂本神社(三徳村坂本)小鹿神社(小鹿村東小鹿)神倉神社(小鹿村神倉)東郷神社(東郷村小鹿谷)松尾神社(花見村野花)国主神社(舎人村北福)小鴨神社(小鴨村大宮)長坂神社(小鴨村東鴨)上小鴨神社(小鴨村鴨河内)広瀬神社(上小鴨村広瀬)日吉神社(矢送村関金)山守神社(山守村今西)山長神社(北谷村森)横田神社(社村横田)服部神社(高城村服部)尾原神社(灘手村尾原)三輪神社(下北条村土下)金刀比羅神社(由良町由良宿)大宮神社(栄村上種)亀谷神社(栄村亀谷)照国神社(下郷村美好)長田神社(下郷村光好)天乃神奈斐神社(赤崎町赤崎)中山神社(上中山村東積)
(2)事代主 波波伎神社(日下村福庭)松尾神社(花見村野花)国主神社(舎人村北福)楯縫神社(高城村上福田)福積神社(高城村福積)西園(大誠村西園)亀谷神社(栄村亀谷)倉坂神社(上郷村倉坂)福留神社(赤崎町赤崎)松谷神社(赤崎町松谷)亀崎神社(赤崎町東松谷)大石神社(成美村勝田)前原神社(安田村八幡)
(3)健御名方命 波波伎神社(日下村福庭)小鴨神社(小鴨村大宮)上古川神社(上小鴨村上古川)湯関神社(矢送村関金)諏訪神社(八橋町八橋)
(4)下照姫(高姫) 波波伎神社(日下村福庭)倭文神社(北谷村志津)
(5)天稚彦命 波波伎神社(日下村福庭)矢野宮神社(灘手村寺谷)
(6)阿遅鋤高日子根神(別雷神) 賀茂神社(旭村森)今泉神社(旭村今泉)波波伎神社(日下村福庭)松尾神社(花見村野花)賀茂神社(倉吉町葵町)楯縫神社(高城村上福田)大宮神社(栄村上種)

4 私見
 月読命は鳥取県琴浦町槻下(月下)に降臨した。豊受姫も槻下に降臨したと推定したが、鳥取県神社誌の鳥取県中部の神社に両者とも祭神になっていない。なぜだろうか。宇迦之御魂命はスセリヒメでありながら稲荷神とされていた。それでは、倉稲魂命や保食神も稲荷神とされているが、実は女神だったのではないか。
 倉稲魂命は読みも「うがのみたま」という読みにされており、宇迦之御魂命と同一神であるという説もあるが、「花園稲荷神社(忍岡稲荷)の祭神は倉稲魂命又の御名は豊受姫命(伊勢の外宮の大神)ともいう」とする。「延喜式大殿祭祝詞註にも、倉稲魂命は豊宇気比売神と同神とする」とある。倉稲魂命は豊受姫命(伊勢の外宮の大神)の別名であった。
 また、月読命は保食神を殺した。保食神と関係が深いのは月読命である。保食神を殺したから月読命は保食神になった。トリックである。神社の祭神で保食神とあるのは月読命の別名である。月読命は女性であり天照大御神は男性であった。
 大国主はスサノオの子であるから生年は早くても紀元前208年頃であり、その子の事代主が葦原中津国の首長になるには20歳くらいであるから紀元前170年以降である。国譲りが決まっても実際に事代主が葦原中津国を明け渡すまでに20数年はかかっている。その間ニニギ命は矢送神社・日吉神社・楯縫神社にいた。最初の天照大御神の降臨(紀元前195年頃)からニニギ命の降臨(紀元前165年頃)まで大国主の子供たちが成長するのを待つ必要があった。

5 福岡県に下照姫神社があり、穂波という地名があるのは、伯耆国にいた山上憶良が作ったものである。穂波とは波の穂を逆さに言ったものであり、波打ち際であったことを示している。鳥取県北栄町の穂波は今でも海抜4m以下である。縄文海進の時代に福岡県の穂波は波打ち際であったとは思われない。

6 瓊瓊杵尊は日当たりの良さばかりを言うので日向の御子といい、神阿多都比売は彼女の行くところ桜が咲いたように華やかになるので、木花之佐久夜毘売といった。どちらも鳥取県中部の地元の者が親しみを込めてつけたあだ名である。「日向」を単に日当たりが良いという意味にもかかわらず宮崎県の地名にまでして日本書紀に記載した藤原氏は詳しいことを知らなかったものと思われる。


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