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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が、今よみがえる。

八岐大蛇は第1次の徐福一行(紀元前219年)を追いかけてきた始皇帝の家来たちであった [素戔嗚命]

 八岐大蛇は第1次の徐福一行(紀元前219年)を追いかけてきた始皇帝の家来たちであった。


1 八俣大蛇は八俣だから九頭竜のことであり、九頭竜なら中国にも伝説として存在する。しかし、素戔嗚と話ができて、酒を飲んでくれるような関係である。八俣大蛇とされていたのは、素戔嗚と同じ秦語を話し、始皇帝の剣を持っていた第一次の徐福(紀元前219年)を追ってきていた始皇帝の家来と思われる。彼らも伯耆国に到着し、東郷池から波関峠(忍坂)を越えて、片柴(忍坂邑)を通り、三朝町山田の地に辿り着いていた。八俣の大蛇伝説は八の字が好きな藤原氏が三朝町山田(ヤマタ)であった事件を後に脚色したものと思われる。
 始皇帝の剣は始皇帝陵から見つかっているものでもそんなにたくさんは無いようである。しかし、今でも錆びずにカミソリのような切れ味でしかも形状記憶合金でできているというから、その当時でも貴重なものであったと思われる。素戔嗚が天照大御神に献上してそれが天皇家の三種の神器にされるのも不思議なことではない。熱田神宮にあるのを見たと言う者の証言によれば始皇帝陵から見つかった剣とよく似た両刃の剣だそうである。倭姫命が持っていたということは、倭姫命は女王だったということである。このことからも、倭姫命が卑弥呼(日女命)であったことが判る。


2 素戔嗚は伊邪那美(母)を知っているので、第1次の徐福一行(紀元前219年)の時から、徐福(天照大神)に同行しており、9年後の第2次の徐福一行(紀元前210年)にも同行していた。素戔嗚と徐福(天照大神)一行は辰韓より次々に伯州(伯耆国)に到着した。徐福本隊(三貴神)は最初に出雲の日御碕神社(祭神は天照大神と素戔嗚)に到着し、次に米子市陰田町の日御碕神社→境港市渡の日御碕神社→大山町御崎の日御碕神社→北栄町の葦原中津国に到着した。伊邪那岐命は三貴神を迎えるために葦原中津国の浮島(北栄町大島)にいた。天照大神は伊邪那岐に再会して灘手神社(倉吉市穴沢)にいたが、高天原(蒜山高原)を治めるように言われ、高天原(蒜山高原)に上がった。素戔嗚は(泊瀬の)海原を治めるように言われ、「母の国」と言って朝日神社(倉吉市谷)で泣いた。素戔嗚は泊瀬の海原(倉吉市中心市街地)を調べているうちに、三朝町坂本で稲田姫の両親に会い、「三朝町山田に9年前に到着していた始皇帝の家来たちがいて、毎年一人づつ娘をさらっていく。稲田姫は8人目であり泣いている」ことを聞き、稲田姫と結婚することを約束させて、始皇帝の家来たちに話しかけ、濃い酒を飲ませて殺害した。始皇帝の家来たちは始皇帝陵で見つかった両刃で錆びない形状記憶合金でできた剣を持っていた。素戔嗚はその不思議な剣を天照大神に渡した。それが天叢雲の剣(草薙の剣)である。


3 素戔嗚は出雲の船通山の頂に降りたりしていないし爪を剥がされたりしていない。素戔嗚についての古文献や伝承の多くは、藤原氏による改ざん挿入潤色と思われる。伊邪那岐は黄泉国を嫌い那岐村(鳥取県智頭町)を次の本拠地にした。素戔嗚は伊邪那岐の本拠地(鳥取県智頭町那岐村)の近くの八頭町大江郷に稲田姫との御殿を造った。天穂日はその御殿を守っていた。大国主はそこで生まれた。
 大国主が14歳くらいになった頃(紀元前194年頃)に殷王朝末裔の準王一族も出雲・伯耆・因幡に到着する。因幡の白兎伝説に登場する大国主の兄とされる八十神は殷王朝末裔の準王一族であった。彼らは後に全国に展開し鬼・土蜘蛛・蝦夷と呼ばれた。


4 天照大神(徐福)が伊邪那岐と葦原中津国で再会し、高天原を治めよと言われたときに、伊邪那岐は「連れてきた多くの少年少女を水田稲作のできる葦原中津国で育てるがよい」と言ったはずである。いつまでも葦原中津国で泣いている素戔嗚に、伊邪那岐は「この国に住んではならぬ」といった。伊邪那岐や大国主のいう国造りとは人口を増やすことであり、そのための育児・食育の環境を整えることであった。


5 天照大神(徐福)たちが蒜山周辺で仙薬を探しているうちに、葦原中津国は準王一族に占領されていた。天忍穂耳は下界(葦原中津国)が大変騒がしい、と言った。大国主は兄の八十神(準王一族)を素戔嗚からもらった武器で蹴散らし従わせた。天穂日は大国主に準王一族の拠点(松江市の熊野大社)を聞き出し、能義平野(安来市)に行った。天穂日は準王を大穴持命(大国主)と名づけた。それ以来出雲神族の歴代の王を大穴持命(大国主)と呼ぶようになった。事代主(磯城県主の先祖)も建御名方も大国主の実の子ではなく大国主に従った準王一族(出雲神族)と思われる。





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